
何かを書こうと思ったとき、考えていることをまとめるには技術がいるんだけど、その技術がない自分では、何かを書こう、何かを書こう、何かを書こうと何度か考えて、気がつけば時間だけが経ち、目の間には真っ白な画面が広がっていることになってしまう。
ではどうにかして技術を身につけないと書くことはできないんだけど、技術というのは習いながら身につけるものではなくて、書くことによって身につけるものなんだろうと思う。
一方で、書きたいものがないのに技術で書こうとしたところで、それは全く意味がなく、そのような文章は中身が無い空疎な文章になり、そんなものを残すことは世の中にとって有害で、書いて人に届けたいというものがなければやらない方がいいという意見もある。読んだ結果何も得るものがなければ、その文章は単に人の時間を奪うだけの有害なものだということだ。
それについては確かにそう思うのだけど、ではどうしたらいいのかと問い返したくなってしまう。
「お前が書こうとしているその文章は無意味で有害だというんだけれど、では、世の中で書かれている多くの文章にどれだけ意味があるものがあるのか。」と。
世の中を見渡すと、正直、くだらない、品がない安直な文章で溢れている。ニュース記事にしろ、ブログにしろ、エッセイにしろ、ハウツー本にしろ、ほとんどの文章はそもそも要らないし、残るものでは無いだろう。ではなぜこれほど過剰に文章に溢れているんだろうか。いや文章だけではない。映像だって写真だって、ウェブ上は多くのもので溢れている。
インターネットが広がったことで、全ての人が書き手になり、すべての人が映像の創り手になったのだと、原因がインターネットにあるような言説が多いが、雑誌やラジオの投稿、同人誌、学級新聞など、意味のない文章はそれ以前から広がっていた。有害だろうが目的がなかろうが、人は文章を書き、映像を作り、人に自分の創作物を読ませたいんだろう。それは決して才能がある一部の人だけのものでなく、多くの人に備わっている欲求なんだろう。
などと考えながら、この場は書くために書く場だと思い、何を書くかを明確にするために書いていこうと思う。書くことでわたしはどこに行くことができるのか、ということに今興味を持っている。
