1950年代は、AI(人工知能)の黎明期であり、この分野の基礎が築かれた決定的な時期であった。この時期に、アラン・チューリングの先駆的なアイデアが生まれ、ダートマス会議において「人工知能」という用語が誕生した。
1. アラン・チューリングによる概念の確立
AIの議論は、イギリスの数学者アラン・チューリングが1950年に発表した論文『計算する機械と知性(Computing Machinery and Intelligence)』によって本格的に始まった。
チューリングテストの提唱
チューリングは、「機械は考えることができるか?」という根本的な問いを、より具体的な「模倣ゲーム」(Imitation Game)、すなわち後のチューリングテストとして提案した。
「私は『機械は考えることができるか?』という問いを考察することを提案する。しかし、この問いは意味がないように思える。そこで、この問いを、より密接に関連し、不明瞭ではない別の問いに置き換える。それが『模倣ゲーム』である。」
このテストは、人間と機械がチャットで会話をし、会話の相手が人間か機械かを人間が区別できるかどうかを問うもので、機械が考えているという内的な状態の問題にするのではなく、考えているような振る舞いをするのかという外的な問題に置き換えたもので、機械が知的な振る舞いをするかどうかの基準として大きな影響を与えた。
学習機械
この論文では加えて、学習機械という概念を提案している。完全な知識を持つ機械を作るよりも、子供の心を持つ機会を作り、それを成長させる方が実りが多いと提案した。
2. 「AI(人工知能)」という言葉の誕生
AIを学問分野として確立する上で決定的な役割を果たしたのが、1956年にアメリカのダートマス大学で開催された「ダートマス会議(Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence)」である。
ダートマス会議とジョン・マッカーシー
会議の提案者である数学者ジョン・マッカーシーは、この新しい研究分野を指す名称として「人工知能(Artificial Intelligence: AI)」という言葉を初めて使用した。
会議の提案書には、AI研究の目的が明確に示されている。
「学習のあらゆる側面、あるいは知能の他のあらゆる特徴が、原理的には非常に正確に記述でき、それをシミュレートする機械を作ることができる、と推測する。」
「我々は、人工知能の研究が、1年間の夏季研究プロジェクトの間に行われると信じている。」
初期プログラムのデモ
この会議では、後に「AIの父」の一人と呼ばれるハーバート・サイモンとアレン・ニューウェルが、最初のAIプログラムの一つとされる『ロジック・セオリスト(Logic Theorist)』をデモしました。これは、人間のように論理的な推論を行い、数学の定理を証明する能力を示した。サイモンはこの成果を熱狂的に語っている。
「わずか10年で、デジタルコンピュータがチェスの世界チャンピオンになり、重要な新しい数学の定理を証明し、音楽を作曲し、心理学の理論を確立するようになるだろう。」
様々な知的なタスクをこなすコンピュータに研究者たちは興奮し、ここから1970年代初頭まで続く「AIの春」(第一次AIブーム)が始まる。