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  • epigraph episode 2

    まだ読みかけだけど、デビッド・グレーバーの「官僚制のユートピア」(2017年12月)から、今、仕事をしながら感じているところを本当に言いあてているなと思ったので書いておく。

    ここでは、官僚制的知と理論的知を比較することが役に立つ。官僚的知は、総じて、図式化にかかわっている。実際、官僚的手続きとは、例外なく、現実の社会的存在のはらむ細部のすべてを無視し、あらゆることを機械的ないし統計的な既知の定式に還元するということに等しい。書類であれ、規則であれ、闘鶏であれ、質問票であれ、その問題は、つねに単純化の問題である。類型的にいえば、キッチンにやってきて、だれが悪いのか恣意的で即座に決断を下すボスと、大きく異なるものではないのである。官僚制とつきあうよう余儀なくされるひとは、ときに次のような印象を受けるものである。じぶんが相手にしている人物は、なんらかの理由から、世界の二パーセントしか視野に入れないメガネをかけることに決めているのではないか、と。

  • epigraph project 1

    海外の本では章の始まりに短い引用文があり、それがとても格好よく、エピグラフがついた文章を書きたいと憧れる。その為、エピグラフのネタをストックしておこうと思う。いつか書く本の為に。これはその1日目。大室幹雄の書籍「劇場都市」から。

    難点は理解の対象にでなくむしろ理解する我々主体の側により多く見出される。理解という精神的な活動は広い意味における一種の対話であるが、それは対話を交わす当事者双方かそれぞれの世界を相互に比較しあうことにもとづいて成りたつ。そのばあい対話の成立、つまり両者間の理解と融和の形成に決定的な機能を果たすのは、比較の結果性の機能にすぎないが、理解とそれに連接する融和とは対話者のどちらにとってもその全存在を投じての選択であり、それは差異性においてではなく類似性や共通性においてのみわずかに実現されるからである。

    劇場都市 古代中国の世界像 (1981年) 大室幹雄 著

  • 本のサイズ

    ブックカバーを買おうと思ったのだけど、どのサイズのブックカバーを買えばいいのかよく分からなかったということをきっかけに本のサイズを調べた。新書、文庫本くらいはわかるんだけど、それ以外はよく分からない。ざっと調べると、主に文庫本、新書、四六番、A5版、B6版、B5版、B4版があるとのこと。

    所謂一般書のサイズは四六番と言うものらしい。聞き馴染みのない言葉だが、この名前は明治維新後に導入された洋紙のサイズを起源にもつ。それまでは「半紙」や「美濃紙」などの和紙を使っていたが、西洋化の流れの中で洋紙が輸入されるようになると、この時に印刷洋紙として使われていた「四六番原紙(788mm × 1091mm)」が印刷用紙の基準となった。

    明治末から大正期にかけて、出版業界が拡大し、効率的な洋紙利用と印刷機の共通規格が求められる中、四六番は扱いやすく、読みやすい、さらに印刷効率が良いサイズとして単行本のサイズとして定着していった。因みに書籍の四六番は洋紙の四六番を十六分の一にしたサイズで、約127×188mmとなっている。

    名称寸法用途例
    文庫本約105 × 148小説、軽めの読み物(ポケットサイズ)
    新書約103 × 182教養書、ビジネス書など
    四六判(しろくばん)約127 × 188一般書籍、単行本で最も多いサイズ
    A5判148 × 210専門書、学術書、漫画単行本(大きめ)
    B6判128 × 182漫画単行本、一般書籍
    B5判182 × 257雑誌、教科書、技術書など
    A4判210 × 297写真集、資料集、ビジネス文書など

  • 映画「素敵すぎて素敵すぎて素敵すぎる」

    映画『素敵すぎて素敵すぎて素敵すぎる』(監督・主演 大河原恵)を見てきた。この映画は、大河原監督の初長編作品とのことで、監督はこれまで、監督・主演を務めた中編作品『みんな蒸してやる』(2015)が第7回下北沢映画祭グランプリを受賞したほか、第37回ぴあフィルムフェスティバルではコンペティション部門に入選するなど様々な国内映画祭で注目を集めている。新進気鋭の若手監督である。

    映画館はポレポレ東中野という中野区東中野駅の近くにある映画館。ポレポレとは日本語としては耳慣れない響きだけど、アフリカ東南部で広く使われている言語であるヒワスリ語で「ゆっくりゆっくり」という意味らしい。当日は上映後に監督の挨拶もあった。

    一言で言うと面白かったし、とても好きな部類の映画だった。ストーリーは突飛で、現実と妄想なのかが入り混じって全速力で駆け抜けていく。ただ、決して映画は妄想として飛んでいってしまうことなく、最後までリアリティに繋ぎ止められて映画が進行していく。

    リアリティに繋ぎ止めているものは何んだろう。それには途中で気がついたんだけど、それは20代の頃のリアルなどうしようもない恋愛感情、恋愛感情というか、あの年代の時に経験したどこにも行き着くことのないもどかしい感情が、ずっと主人公に流れていることが伝わってくる。

    それが、このどこにもいきつかない想いが妄想じみた数々のシーンにつながる動機となり、力を持って駆け抜けていっていることが、映画を素敵な映画にしていると感じた。

  • AIについて(歴史:黎明期)

    1950年代は、AI(人工知能)の黎明期であり、この分野の基礎が築かれた決定的な時期であった。この時期に、アラン・チューリングの先駆的なアイデアが生まれ、ダートマス会議において「人工知能」という用語が誕生した。

    1. アラン・チューリングによる概念の確立

    AIの議論は、イギリスの数学者アラン・チューリングが1950年に発表した論文『計算する機械と知性(Computing Machinery and Intelligence)』によって本格的に始まった。

    チューリングテストの提唱

    チューリングは、「機械は考えることができるか?」という根本的な問いを、より具体的な「模倣ゲーム」(Imitation Game)、すなわち後のチューリングテストとして提案した。

    「私は『機械は考えることができるか?』という問いを考察することを提案する。しかし、この問いは意味がないように思える。そこで、この問いを、より密接に関連し、不明瞭ではない別の問いに置き換える。それが『模倣ゲーム』である。」

    このテストは、人間と機械がチャットで会話をし、会話の相手が人間か機械かを人間が区別できるかどうかを問うもので、機械が考えているという内的な状態の問題にするのではなく、考えているような振る舞いをするのかという外的な問題に置き換えたもので、機械が知的な振る舞いをするかどうかの基準として大きな影響を与えた。

    学習機械

    この論文では加えて、学習機械という概念を提案している。完全な知識を持つ機械を作るよりも、子供の心を持つ機会を作り、それを成長させる方が実りが多いと提案した。

    2. 「AI(人工知能)」という言葉の誕生

    AIを学問分野として確立する上で決定的な役割を果たしたのが、1956年にアメリカのダートマス大学で開催された「ダートマス会議(Dartmouth Summer Research Project on Artificial Intelligence)」である。

    ダートマス会議とジョン・マッカーシー

    会議の提案者である数学者ジョン・マッカーシーは、この新しい研究分野を指す名称として「人工知能(Artificial Intelligence: AI)」という言葉を初めて使用した。

    会議の提案書には、AI研究の目的が明確に示されている。

    「学習のあらゆる側面、あるいは知能の他のあらゆる特徴が、原理的には非常に正確に記述でき、それをシミュレートする機械を作ることができる、と推測する。」

    「我々は、人工知能の研究が、1年間の夏季研究プロジェクトの間に行われると信じている。」

    初期プログラムのデモ

    この会議では、後に「AIの父」の一人と呼ばれるハーバート・サイモンとアレン・ニューウェルが、最初のAIプログラムの一つとされる『ロジック・セオリスト(Logic Theorist)』をデモしました。これは、人間のように論理的な推論を行い、数学の定理を証明する能力を示した。サイモンはこの成果を熱狂的に語っている。

    「わずか10年で、デジタルコンピュータがチェスの世界チャンピオンになり、重要な新しい数学の定理を証明し、音楽を作曲し、心理学の理論を確立するようになるだろう。」


    様々な知的なタスクをこなすコンピュータに研究者たちは興奮し、ここから1970年代初頭まで続く「AIの春」(第一次AIブーム)が始まる。

  • タワーマンション

    ここ数年タワーマンションブームということで、湾岸のタワーマンションの人気が高まっており、人気の高まりと合わせてその価格も鰻登りとなっている。

    ただ、冷静に考えてみると、タワーマンションというのは地上50階、1千戸以上の部屋があるということで、1つの建物に3千人とかの人が住んでいるということになる。地上50階の建物が建つ地面の面積はそんなに広いわけではなく、あんな狭いエリアに3千人を超える人が住んでいると考えると、住んでいる人にとっては絶対に便利で贅沢な住居ではないと思う。ただ、私は住んでいたわけではないので、あくまで想像の話になる。

    きっと、同じ場所に3階建てくらいの低層マンションがあったとすると絶対のそちらの方が贅沢で快適な生活ができる。江東区の湾岸エリア、庭がついていて共用スペースも贅沢、3階建てで総戸数20戸のマンションなどがあれば、絶対にタワーマンションよりも住み心地が良く贅沢かつ高価な住居になる。

    なぜ、低層マンションではなく、タワーマンションが喧伝され、世の中の話題となっているのだろうか。

    回答は簡単で、その方が経済が回るからだろう。間違いなく20戸の建物より1千戸の建物のほうが多くのお金が回るし、より多くの人が参加して利益を得ることができる。そのためにデベロッパーからゼネコン、広告代理店などの優秀な人たちがものすごく働いている姿が目に浮かぶ。良い悪いではなく、それが資本主義で社会の仕組みだし、その仕組みを作ったのが私達だということになる。

  • AIについて(個人的な関心事)

    2022年11月にChat GPTが公開されて以降、世の中はAIブームに沸いている。Chat GPTは大規模言語モデル(LLM)をベースにしていて、プロンプトを入力することで、人と会話しているかのような自然な文章を生成できる。正に知能が生まれたように感じで、パートナーとなるロボットと人が一緒に生活できる明るい未来につながっているように感じる。

    一方で、この発表は世の中に大きなうねりを呼びポジティブな反応とネガティブな反応が生まれ、論争を生んでいる。

    AIの普及によって生活が便利になるし、ビジネスチャンスが広がって誰でも稼げるようになるとか、世の中のほとんどの仕事は要らなくなりみんなが失業する、一部の人がAIを占有し貧富の差が拡大するとか、いろいろなことが言われているけど、このような文章を読むとどうしても気になるのが、ここでAIとは何のことを言っているのだろうということで。

    当然、Artificial Intelligence、人工知能の略で、半導体の回路によって人工的に作られた知能だってことは分かるし、これまでのAIと違うところは事前にプログラムされた具体のアルゴリズムに沿ったアウトプットをする訳ではなく、自ら学習し、パラメータを調整し、アウトプットを出しているということも理解できる。

    ただ、時代とともにAIという言葉に対する認識は変わってきているし、AIと認識されているものの中身自体も変わってきている。そのため、一度時代による変遷も含めて自分の中で整理したいと思った。

  • 石神井川

    石神井川は今のマンションの脇を流れている、住宅地の中を流れる小さな川である。小金井市の小金井カントリー倶楽部を起点に田無市、保谷市、練馬区を通り、田柄川と合流、板橋区から北区滝野川に入り、隅田川(旧荒川)に注いでいる。

    護岸はコンクリートで囲まれ、川沿いの道から水面までは8m程あって、どうしても機能だけの川という印象。

    機能だけの川に見えてもせせらぎの音は聞こえるし、そこには魚や鴨が生活している。コンクリートに囲われてはいるがその上に草木が茂っている。ただ、川沿いの道に植えられた桜並木やちょっとした緑地、広場はどうしても取り繕ったようにしか見えない。ただ、これは時間の問題なのかもしれないが。

  • 早起きは三文の徳

    早起きは三文の徳というし、今は朝型の時代だというけれど、それでもなかなか起きれずに夜型になっている人は多く、私自身朝早く起きるのはなかなか辛い。更に今はスマートフォンをというのがあって、朝起きてすぐにSNSや動画なんて見出したら、全然布団から出ることができない。

    朝が苦手なのは若い頃からで、大学生の頃は、1限になかなか出ることが出来なくて、1限の授業がある時は、寮の同級生に起こしに来られるが、それでも寝ていて、じゃあ、先に行っているよ、なんてことが多かった。今から振り返ると駄目な大学生、駄目な若者の典型だけど、まさに自分がそうだった。

    10年前までは、深夜まで飲みに行ってタクシーで帰宅、朝までクラブで踊るということが、イマドキだったけど、今は夜は早く帰り朝早く起きて活動するのが意識が高いと言われる世の中になった。仕事だってそうで、以前は終電後まで働いて、そこから更に一杯やって、深夜タクシーで帰るというのが常の時期もあったが、今は出社前にランニング、カフェで勉強、活動をして、そこから出社というのが意識高いビジネスパーソンとのこと。

    今、YouTube界隈では30日間5時起きチャレンジというのが流行っているようで、海外ではI woke up at 5am for 30 daysHow I Wake Up at 4:30 AM Every Day for 4 Years (My Miracle Morning Journey)なんて動画が数百万再生されている。

    寝ずにハイテンションでいるより、睡眠して健康な生活をしていくことがより評価される時代になったということだろう。

    睡眠に対する研究も進んでいる。睡眠のゴールデンタイムは22時から2時と言われていて、この時間帯は成長ホルモンが多く分泌されるとのこと。

    この成長ホルモンの分泌は主に視床下部と下垂体の働きによって調整され、視床下部は成長ホルモン放出ホルモン(GHRH)を分泌し、これが下垂体前葉に作用して成長ホルモンを分泌する。成長ホルモンの分泌は、睡眠中、特に深いノンレム睡眠中に増加し、この深い睡眠は通常、睡眠の最初の数時間に現れるため、午後10時から午前2時の「ゴールデンタイム」が重要とされている。また、成長ホルモンの分泌はサーカディアンリズム(体内時計)にも影響されるため、この時間帯に高まる傾向があるとのこと。

    朝にランニングすると気持ちい。夏の朝はまだまだ涼しいし、街も周りの空気も静かだ。犬の散歩をしている老夫婦、同じようにランニングをしている数人とすれ違う。自分の足音が一定のリズムで響く。

  • 地球温暖化と今年の夏

    暑い夏が始まった。今年は梅雨に入ったのか、空けたのかもわからないうちに、連日の真夏日で、ベランダに植えたミツバは、もう暑さにやられている。

    35℃を超える真夏日は昔はそうそうなかったが、ここ数年は連日真夏日で、外を歩くと暑く重い空気、風もなく時間がぴたりと止まっているようである。

    地球温暖化しているのかしていないのか、温暖化懐疑論なんてのも昔から続いており、温暖化の懐疑論は複数あり、そもそも温暖化は起きていないというものから、温暖化は人為的な要因によるものではない、温暖化は深刻なものではない、経済的・社会的に影響が大きいため対策するべきではないというものまで、いくつかの段階に分かれている。

    わたしも一部分は懐疑的に見ている。ただ、温暖化していることに対して懐疑的なのではなく、二酸化炭素の増加が温暖化の主要因だということに懐疑的である。

    人間の経済活動により排出される温室効果ガスが温暖化の要因であるということに懐疑的であり、温室効果ガスを抑制するための様々な政策に対しては更に懐疑的である。正直いうと温室効果ガスが温暖化の要因か否かについて否定する根拠はないし、科学的な因果関係の話なので、よくわからない。ただ、抑制するための政策については懐疑的である。温室効果ガスを抑制したいのであれば、経済活用を抑制すれば良い。現にコロナ禍では、温室効果ガスの排出量も減っていた。同様に経済活動を抑制すればよいはずだが、そうはならない。なんというか、複雑な欲望が背後に渦巻いていて、それはそれでいいのだけど、もはや削減したいとかしたくないとかではなく、ビジネスチャンスとして、多くの人間が複雑な制度を考えているだけに見える。

    温暖化しているというのは、体感として日本では暑くなっているし、それには誰も異論はないだろう。

    気象庁のホームページに、日本の年平均気温の経年変化と順位表が公表されているが、年平均気温は100年あたり1.40℃の割合で上昇、特に1990年代以降、高温となる年が多くなっており、最近6年(2019年~2024年)は、すべて歴代6位以内となっている。特にこの10年で暑くなったということだ。

    写真は近所の畑に植えられていた向日葵。8月でもう枯れかけている花もあるが、一部の花はきれいに咲いている。東京では向日葵の花もあまり見なくなった。